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〒231-0022 神奈川県横浜市中区横浜公園内(横浜スタジアム)
今までお稽古された先生方の中には有名な方も多い公武会。
過去に本や雑誌等で紹介された先生方をご紹介するとともに、実際にお稽古をされた方に当時のお稽古の様子や思い出等を伺いました。
(1)山本光起先生にご紹介いただいた「現代武道家物語」杉崎寛著(あの人この人社)掲載 「京都の武専の伝統を守り伝える小中沢辰男」章から
略歴
大正5年1月横浜市に生まれる。昭和12年3月大日本武徳会武道専門学校卒業。軍隊生活を経て、昭和16年から19年まで、県立水戸商業学校教諭。戦後は神奈川県立商工高等学校の教諭を30年間勤める。その間剣道の指導と、修行を続けてきている。昭和40年剣道八段。48年範士。現在、全日本剣道連盟常任理事。全日本学校剣道連盟審議委員。神奈川県剣道連盟副会長。同学校剣道連盟会長。自営種類販売業。
掲載項目
・先祖は島津藩の武士
・十三人に一人の合格
・武専の名物“制裁会”
・寒稽古東白みに烈しけれ
・恩師小川金之助範士
・思い出の済寧館の稽古
・心の恩師持田盛二範士
「十三人に一人の合格」の一節
“稽古は好きでよくやったという。横浜スタジアムの地下に、公武館という剣道と柔道の道場がある。やはり横浜市が武道の普及のために設けたもので、指導員も市から任命された先生が来て教えていた。夜はそこへ通って、よく稽古をしたものだという。”
この「公武館」こそ現在の「公武会」。公武会に来られて練習されたことが書かれています。
(2)小中沢先生を知る先生は複数名いらっしゃいましたが、その中でも特にお稽古をされていたのが榎本先生と伺い、当時のお稽古の様子や先生との思い出を伺いました。
◆小中沢先生と榎本先生
私の稽古は「週6回、先生に100本切り返しと打ち込み稽古だけ」でしたが、よく飽きずに鍛えていただきました。今日あるのも先生のおかげだと思っております。
またお酒にも強くしていただきました。
先生がおいでになると若手の方々とよく飲みに付き合ってくれました。先生の右手の親指と人差し指でおちょこで飲むふりをするサインが(飲みに行く)合図でした。
―小中沢辰男師範の座右の銘
故小中沢辰男師範の座右の銘は「忠恕(ちゅうじょ)」だったと思います。
忠恕=真心と思いやりがあること、忠実で同情心が厚いことです。孔子の説いた「仁」(儒教の最高の徳、道徳や政治の根本となるもの)の基本です。
―小中沢先生の教え
1.余計なことは言わず
2.自ら体で覚えさせるような稽古
3.打たせる稽古
良い間合、機会で
先述の本のなかに小中沢先生を剣の道に導いてくれた横浜商業での恩師大和田金明先生について書かれた一文の中に“「小柄な先生で、実に子供の指導が上手でした。飽きさせないです。実に剣道家としては優しい人で、だから非常に代々の卒業生が尊敬してます。今でも剣道部の同窓会が、大和田の和をとって剣の和、剣和会といって、ずっと続いています。みんな大和田先生が指導されたんで、よくまとまっております」”とある。
榎本先生のたれネームの所属が「剣和会」であることが気になったので伺ったところ、上記の会とは別の理由(水戸東部館からの流れからつくられた)からついたお名前という事を教えていただきました。
(3)剣道時代 2009年11月号(NO.447)
剣道人物百景【17】小中沢辰男 P90~93
公武会が横浜公園からよく見えるときの写真も一緒に掲載されています。
https://digi2.fujisan.co.jp/digital/ebook-html-viewer/index.html?bid=666817_sample&dhost=2&e_vt=3&mhost=3&uid=0&z_cry=0&z_dgmg=a578ec96b19a5b84baed8cbc1c03d234
榎本先生、小中沢先生とのお話、写真いただきありがとうございます。